2009年07月04日

車鹿会という族長が自ら

『北史』などによると、「柔然」という民族名は、車鹿会という族長が自ら「柔然」と号したことに始まったという。また、『魏書』・『北史』・『南史』などでは「蠕蠕(ぜんぜん)」、『宋書』・『南斉書』・『梁書』などでは「苪苪(ぜいぜい)」、『周書』・『隋書』などでは「茹茹(じょじょ)」、『晋書』では「?蠕」と表記されるのは、「柔然」をさらに中国側で別の不好の文字をもって異字訳したものである。「蠕蠕」・「?蠕」と虫に関する文字を用いているのは、彼らの氏族トーテムの関係と侮蔑的な意図から特に北朝の人々が用いたものであり、柔然人自身が自分たちを指す場合と、侮蔑的な意図がない場合は「茹茹」・「苪苪」と記されている。これらの原音は不明だが、いくつかの説が存在する。
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白鳥庫吉説…モンゴル語の「tsetsen(賢明)」であるとした。
藤田豊八説…モンゴル語の「jušun(法則・礼儀)」であるとした。
H.W.Haussing説…「柔然」は自称ではなく、北魏人が彼らを外国人として、アルタイ語の「jojin(異国人)」と呼んだものの漢字音訳であるとした。
P.Boodberg説…アルタイ語で、あるヨモギ科の植物を指す「javčan」であるとした。
ここで、Boodberg氏のヨモギ説であるが、『資治通鑑』巻八十一太康六年注引『何氏姓苑』において、「宇文氏は炎帝の出自であり、その後、草の効能を試したため、鮮卑語で草をいう『俟汾(しふん)』から、俟汾氏と名乗り、その後訛って『宇文氏』となった」とあり、『魏書』序紀では、「拓跋」の語源を「土を謂いて托となし、后を謂いて跋となし、故に氏となす」とあるように、族名が草や土から名づけられるケースがあり、柔然もこの類だとすれば、「茹茹」・「苪苪」と草に関する文字を用いているのにも説明がつき、可能性は高いといえる。

2009年06月14日

シリコーン (silicone) とは、シロキサン結合

シリコーン (silicone) とは、シロキサン結合による主骨格を持つ、人工高分子化合物の総称である。 語源は、ケトンの炭素原子をケイ素原子で置換した化合物を意味する、シリコケトン(silicoketone)から。[1]

ただし、慣用的に低分子シラン類を含む有機ケイ素化合物全般を指す意味で使用される場合もある。

化学的には、ジメチルジクロロシランをはじめとする各種のシラン類を加水分解し、生成したシラノール (R3Si-OH) が脱水縮合したオリゴマー、ポリマーである。 モノマーが10(または20)以下の比較的低分子のものは、ポリシロキサン (polysiloxane) または単にシロキサンと呼ばれる。

なお、高分子で合成樹脂として用いられるものは、一般に「シリコン樹脂」あるいは略されて「シリコン」と呼ばれることが多く、元素・単体のケイ素 (silicon) と紛らわしいので注意が必要である。

構造 [編集]
主骨格であるシロキサン結合 (Si-O-Si) は、一般に有機物の骨格を形成している炭素-炭素結合に対し、結合エネルギー、原子間距離、結合角がいずれも大きく、分子全体は螺旋構造をとっている。これらの特性によって、通常の有機物には見られない様々な特長を備えている。
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主骨格の結合が強いことが、最も基本的な特長である耐熱性を発揮し、200℃を超える(構造と条件次第では400℃)高温に耐える。さらに高温では次第に変性(酸素による脱水重合で高分子化)や分解(環状シロキサンの生成による低分子化)するものの、その速度は緩やかで、燃焼や爆発を伴わない。また、分解生成物は主にシリカと二酸化炭素で、危険性が低い。

化学的に安定で酸化・分解されにくい性質は、研究室からプラントに至る化学分野で重宝され欠かせないものとなっているほか、生理活性が低いためヒトを含む生体への毒性が小さい要因となっている(注意:体内に浸潤した場合の異物性肉芽腫など、活性が低い物質で起きる反応もある)

シロキサン結合のバンドギャップが大きいため、電気絶縁性が比較的高い。そのわりに誘電率が小さいため電場を妨げず、発熱しにくい(マイクロ波加熱を受けにくい)ほか、耐熱性と同様の要因から絶縁耐力に優れ、紫外線や放射線による攻撃にもある程度耐えることから、耐候性も備えている。

螺旋状の分子構造は、内側の主骨格(無機性)を置換基(有機性)が取り巻く構造となっている。このため、ポリシロキサンで見られる水素結合が妨げられ、分子間力が相対的に小さい。この性質は、液体では表面張力や温度による粘性変化を小さくし、固体では撥水性や、ガス透過性を高くする。

置換基 [編集]
また、ケイ素上に有機性の置換基を多数備えていることから、ガラスなどの無機物にはない界面特性を持たせることができる。 導入する置換基を選択し、さらに骨格を環状や分枝構造とすることで、耐熱性や耐化学性、親水性や疎水性など、さまざまな機能が強化または付与されている。

使用される置換基としては、ポリエーテル、エポキシ、アミン類、カルボキシル基、アラルキル基など多様であり、導入位置(側鎖、末端)の組合せと相まって極めて多岐にわたり、メチル基またはフェニル基のみを導入したストレートシリコーンに対し、変性シリコーンと呼ばれる。

フェニル基の量を増やすと、低温で硬化しにくくなり耐寒性が増す
フッ素を含むフルオロアルキル基を導入すると、耐油性や疎水性が向上する
アミノ基を少量導入すると、エマルション特性が大きく改善される
ポリエーテル基は、潤滑性の改善に効果がある

2009年05月29日

プロティノス

プロティノス(Plotinos 205年? - 270年)は、新プラトン主義(ネオプラトニズム)の創始者といわれる哲学者である。

エジプト出身で、アレクサンドリアで学んだ後、ローマに移住。哲学の教師になる。主著に『エンネアデス』がある。ローマ皇帝ガリエヌスと交流があった。

プロティノスはプラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)より500年以上も後の生まれであり、当時は様々な神秘主義思想が唱えられていた時代である。ただしネオプラトニズムの創始者とはいっても、プロティノス自身には独自な説を唱えたという意識はなく、プラトンの正しい解釈と考えていた。

プロティノスの思想はプラトンのイデア論を受け継ぎながら、その二元論を克服しようとしたものである。 プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(ト・ヘン to hen)を重視し、語りえないものとして、これを神と同一視した。 万物(霊魂、物質)は無限の存在(善のイデア)である「一者」(ト・ヘン)から流出したヌース(理性)の働きによるものである(流出説)。一者は有限の存在である万物とは別の存在で、一者自身は流出によって何ら変化・増減することはない。あたかも太陽自身は変化せず、太陽から出た光が周囲を照らすようなものである。光から遠ざかれば次第に暗くなるように、霊魂・物質にも高い・低いの差がある。また、人間は「一者」への愛(エロース)によって「一者」に回帰することができる。一者と合一し、忘我の状態に達することをエクスタシスという。[エネアデスVIの第11節] ただし、エクスタシスに至るのは、ごく稀に、少数の人間ができることである(プロティノス自身は生涯に数回体験したという)。
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神秘主義的な思想は、初期キリスト教のアウグスティヌスらにも影響を及ぼし、キリスト教神学に取り入れられたといわれる。プロティノスの著作自体は中世の西ヨーロッパには伝わっておらず、ルネサンス期の人文主義者・フィチーノがラテン語に翻訳したことで再発見された(1492年に刊行)。フィチーノを中心とするイタリア・ルネサンスの異教的な思想を育み、また後世の神秘思想にも影響を与えた。

また、プロティノスと同時代のグノーシス主義にも影響を及ぼしたが、プロティノス自身は「神が人間の方へ降りてくることはない」として(グノーシス主義を含む)キリスト教を批判していたという。

2009年04月25日

ヨーロッパ全土を巻き込んだ

オーストリア側は、7月24日期限付きの最後通牒をセルビア政府に突きつけた。セルビア側は一部保留の回答をし、オーストリア側はこれを不服としてセルビアと開戦した。ドイツがロシアに圧力をかけ、動きを封じるはずだったが、ロシアはセルビア側につきオーストリアと開戦した。続いてドイツもロシアと戦争状態に入り、三国同盟関係にあるオーストリアも遅れてロシアに宣戦。三国協商関係にあったイギリス・フランスも相次いで同盟側に宣戦し、ヨーロッパ全土を巻き込んだ第一次世界大戦が勃発した。

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開戦当初、どこの国も3ヶ月以内で終了すると予想していた。当初はオーストリア=ハンガリー帝国内の諸民族も政府を支持して戦った。しかし、予想に反し戦争は長期に及んだ。1916年には、68年間帝国に君臨してきた国父フランツ・ヨーゼフ1世が崩御し、国内に動揺が走った。さらに1917年にはアメリカが協商側で参戦し、連合国(協商のアメリカ参戦後の名称)は高らかに「民主主義と封建主義の戦い」を戦争目的として宣伝した。同年11月には、ロシアでボリシェビキ革命が起き、「パンと平和」を掲げた。その影響で帝国内では長い戦争の疲れもあいまって厭戦ムードが高まった。帝国は「民主的連邦制」へ向けた国内改革を迫られた。しかし、皇帝カール1世は理解を示したが、ドイツ人保守派の反抗と諸民族の歩調のずれで、改革は進まなかった。

そのような中、マニフェストどおりロシアのボリシェヴィキ政府(レーニン政府)はドイツと単独講和し、ブレスト=リトフスク条約を結んで戦線を離脱した。同盟側が西部戦線で攻勢を強めるのは必至だった。連合国は極秘にオーストリア=ハンガリー帝国と単独講和を結ぼうとしたが、ドイツに発覚して失敗した。オーストリア側から連合国に講和を持ち込むも、フランスがこれを公にして失敗し、ドイツとの間にも溝ができてしまうありさまだった。

そんな中、シベリアでチェコスロヴァキア軍団(チェコ軍団)の活躍があった。その救出目的にシベリア干渉の名目も立ち、連合国にとってチェコスロヴァキア軍団の活躍は目覚しかった。そこでチェコ人指導者トマーシュ・マサリクは、しきりにチェコスロヴァキア独立を連合国側に持ちかけ、連合国はマサリクのチェコスロヴァキア国民会議を臨時政府として承認していた。当初、オーストリア=ハンガリー帝国の解体を戦争目的としていなかった連合国は、それをあっさり踏み越えた。これが端緒となり、帝国内の諸民族は次々と独立を宣言した。盟邦ハンガリーも完全分離独立を宣言した。

皇帝カール1世はこれをつなぎとめようとしたが果たせず、1918年秋に退位して国外へ亡命した。ここに650年間、中欧に君臨したハプスブルク家の帝国、オーストリア=ハンガリー帝国はもろくも崩壊した。

2009年04月09日

LSD (薬物)

LSD(エルエスディー)はリゼルグ(リゼルギン)酸ジエチルアミド (lysergic acid diethylamide) のドイツ語「Lysergsäure Diäthylamid」の略称であり(開発時のリゼルグ酸誘導体の系列における25番目の物質であったことからLSD-25とも略される。また、アシッド、エル、ドッツ、パープルヘイズ、ブルーヘブンなど様々な俗称がある)、非常に強烈な作用を有する半合成の幻覚剤である。

LSDは化学合成されて作られるが、麦角菌やソライロアサガオ、ハワイアン・ベービー・ウッドローズやハワイアン・ウッドローズ等に含まれる麦角アルカロイドからも誘導される。

純粋な形態では透明な結晶(このまま市場に出回ることはない)であるが、液体の形で製造することも可能であり、これを様々なものに垂らして使うことができるため、形状は水溶液を染みこませた紙片、錠剤、カプセル、ゼラチン等様々である(日本では吸い取り紙のような紙にLSDをスポットしたペーパー・アシッドが有名)。

LSDは無臭(人間の場合)、無色、無味で極めて微量で効果を持ち、その効用は摂取量だけでなく、摂取経験や、精神状態、周囲の環境により大きく変化する(セッティングと呼ばれる)。一般にLSDは感覚や感情、記憶、時間が拡張、変化する体験を引き起こし、効能は摂取量や耐性によって、6時間から14時間ほど続く。

日本では1970年に麻薬に指定された。

LSDはインドール核を有し、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンによく似た構造を持つ(LSDの4つの環のうち2つはセロトニン分子の環系であり、セロトニンにつく側鎖はLSDの構造の一部に類似している)。そのためLSDはセロトニン受容体に結合し、5-HT2のアンタゴニストとして、5-HT1Aと5-HT1Cのアゴニストとして働き、セロトニンの作用を阻害するために幻覚が起こると考えられている(逆にLSDの服用後にセロトニンを服用することで幻覚の発現を抑えることができる)。ただし、2-ブロモ-LSDはLSDよりもセロトニンに拮抗するものの、かなり大量に投与してもサイケデリック効果は生じないため、確定的な説とは言えない[1]。

LSDには立体異性体が存在し、それぞれd-LSD(d-lysergic acid diethylamide)、l-LSD(l-lysergic acid diethylamide)、d-イソ-LSD(d-iso-lysergic acid dithylamide)、l-イソ-LSD(l-iso-lysergic acid dithylamide)がある[2]。普通に「LSD」というときは右旋性のd-LSDを指し、他のものは薬理学的に不活性である[2]。また、LSDに似た働きをするリゼルグ酸アミドもいくつかあり、l-アセチル-LSD(ALD-52)はLSDの91%の効力を持ち、LSDの代用品としてしばしば売られる[3]。l-メチル-LSD(MLD-41)もLSDの36%の効力を持っている[4]。

LSD分子は非常に脆弱なことで知られている。ごく微量の塩素によっても破壊されてしまい、空気中の酸素等の影響を受けると、iso-LSDへと変化し、光に晒されたことで分解されてできる物質lumi-LSDは、LSDと区別が非常に難しい上に不活性である[5]。そのため、保存には注意を払う必要がある。

ブラックライトに当てると強く青白く発光するため、本物かどうかの検定に使用される

アマウ クチュール カートゥ ヌクレア ロデックス シフォン サーチ気球 ぎおん ミルキー バルコニー シェア クロモジ ジアス ゲードル じょうそう ドキュメ サクラソウ ハーフ デニム フォトジ ちとせ モンター ローブ レモン パラオ キッチュ マンノ ソテツ 江戸一 フェデ バンデージ スムーズ テレオ ドット ヤマブ チューニン オーダー バックミラ ニョリータ ネベ幸 ボール ニビル ギアシフト がかい あかぼり ビューロ ビロウ バンカ ユーラトム シーディー

2009年03月25日

裸の王様

裸の王様(はだかのおうさま)は、デンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの代表作のひとつ。1837年発表。デンマーク語原題は "Kejserens nye klæder"「皇帝の新しい服」。

『ルカーノル伯とパトローニオによる模範とすべき本』にあるスペインの古い伝承をアンデルセンが翻案したもの。大枠は変わっていないが、元の話では王様が裸であると指摘するのは子供ではなく、黒人であった。

新しい服が大好きな王様の元に、二人組の詐欺師が布織職人という触れ込みでやって来る。彼らは何と、馬鹿や自分にふさわしくない仕事をしている者には見えない不思議な布地を織る事が出来るという。王様は大喜びで注文する。仕事場に出来栄えを見に行った時、目の前にあるはずの布地が王様の目には見えない。王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当の事は言えず、見えもしない布地を褒めるしかない。家来は家来で、自分には見えないもののそうとは言い出せず、同じように衣装を褒める。王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨む。見物人も馬鹿と思われてはいけないと同じように衣装を誉めそやすが、その中の小さな子供の一人が、こう叫ぶ。「王様は裸だよ!」

なお、日本でのタイトルが裸の王様なので、何も身につけていない全裸だと思われている節があるが、実際には下着を身につけている。絵本版などの挿絵もそうなっている。

登場人物 [編集]
王様:新しい服が大好き
二人の詐欺師:布織り職人というふれこみ
大臣:正直者で通っている年寄り。人が良い
役人:根はまっすぐ
家来たち
町の人々
小さな子供

翻訳 [編集]
ドイツ語版 "Des Kaisers neue Kleider" も英語版 "The Emperor's New Clothes" もデンマーク語の直訳である。

日本での紹介 [編集]
「孩堤の翁」という筆名を用いた巌本善治が、雑誌『女学雑誌』に1888年から連載したのが嚆矢(こうし)である。このときの題名は『不思議の新衣装』であった。同年末、高橋五郎が「在一居士」という筆名で春祥社から『諷世奇談、王様の新衣装』を刊行している。その後も多くの訳が出ているが、「裸の王様」、「はだかの王様」、「はだかの王さま」の題名が一般的である。

比喩 [編集]
崩壊した組織の首脳が「裸の王様」であったといわれる場合がある。耳に快い言葉ばかり聞かされて、現実を直視できなかったケースなどが考えられる。

台詞や比喩の各国語訳 [編集]
「王様は裸だ」

英語:"But he has nothing on!"
ドイツ語:"Der König ist nackt."
デンマーク語:"Kongen er nøgne."

「王様(政治家、権力者)が裸であることに気付きなさい」

英語:"Look at the Emperor's new clothes."

ミュージカル [編集]
劇団四季はアンデルセンの作品を上演してきている。はだかの王様は1964年初演、台本は寺山修司の手による。

キーワ マラガ エンドロ せきがく ゆずりは シリアス パンパ ミント 春紫苑 ヒッピ マスタ ビューロ シーア ネーム たこあし スミス ビリティ ニッパー パンチ メチエ マフラー ガビアル きがん デュープ ナップ キーポイ うぐい ラティーノ テキスト キミと僕 サイトリー バーミュ マティ たいこう トトス フォーク ジンキケロ バランス フラッペ ルネサ シンシティ メリット トーン ファントム ジャングル エレジー タンク タール 光夜宴 プルーフ

2009年03月09日

ギリシア神話と西欧

絵画:ギリシア神話はイタリア人文主義の絵画の主題だけではなく、様々な絵画・視覚的芸術の主題ともなる。ボッティチェリが更に多くの絵画を描いたのは当然として、中世末期のペトラルカ、ルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロをはじめ、コレッジョ、ティツィアーノ、カラヴァッジョ、ルーベンス、ニコラ・プッサン、ドラクロア、コロー、ドミニク・アングル、ギュスターヴ・モロー、グスタフ・クリムトなどもギリシア神話に題材を取った絵を描いている。
文学・詩:また、数多くの文学者や詩人が、作品の題材や形容・修飾にギリシア神話の逸話や場面を利用することで、作品に重層性を与えている。ジョン・ミルトンは『失楽園』、『コウマス』において修飾引用を行っている。スペンサーの『妖精女王』でギリシア神話に言及する。ロマン派の詩人たちは、しばしばギリシア神話からインスピレーションを得ている。『チャイルド・ハロルド』におけるロード・バイロン、『エンデュミオーン』、『プシューケーに寄せるオード』におけるジョン・キーツなどである。ヘルダリーンは『ヒュペーリオン』、『エンペドクレス』を書き、ライナー・マリア・リルケは『オルフォイスに献げるゾネット』連作を造った。オルペウスもまた詩人に霊感を与え、ジャン・コクトーは映画を制作している。ジェイムズ・ジョイスの作品もまたギリシア神話の影響を受けている。
音楽:音楽の分野でも、ギリシア神話を題材やモチーフとしたものは多数に昇る。グルックには、『パリスとヘレナ』、『オーリードのイフィジェニー』があり、ベルリオーズは『トロイアの人々』を作曲している。モーツァルトには、アイネイアースの子を主題とした 『アルバのアスカーニオ』があり、また『イドメネオ』がある。リヒャルト・シュトラウスは 『エレクトラ』を作曲している。オペラ作品として、グルックには、オウィディウスの作品を原作とした『エコーとナルシス』があり、リヒャルト・シュトラウスは、エウリーピデースの悲劇を元にした『エジプトのヘレナ』、『ナクソス島のアリアドネ』、『ダフネ』がある。カール・オルフは『アンティゴネー』を作曲している。
映画:ギリシア神話の英雄あるいは出来事を映画化した作品は欧米において非常に多数に昇る。トロイア戦争を主題にした映画作品は数多く制作されており、ヘーラクレースを主人公とする作品もまた多くある。アルゴナウタイ、テーセウス(主にクレータの迷宮を舞台として)の物語、テーバイ攻めの七将などの話が映画化されている。ギリシア悲劇も映画となっているものが多い。
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ギリシア神話と日本
日本においては、ギリシア神話は、アポロドーロスの『ギリシア神話』のまえがきで訳者の高津春繁が記しているように、オウィディウスの『変身物語』から取られた話が主に紹介されて来た[132]。欧米では、ラテン語を文化系の学生が学ぶことは珍しいことではなく、法学などでは必修である場合もあり、古典ギリシア語やコイネーについても、キリスト教『新約聖書』がこの言語で記されているため、学ぶ人の数が圧倒的に多い。

その結果、西洋古典文学を教養として知っている人の数は日本とは比較にならないと言える。欧米の場合では、子供向け、あるいは若い人向けにギリシア神話物語が書き下ろされている場合が多々あるが、それはやはり、オウィディウスの本のようにヘレニズム的な甘美さと優しさのある物語が多い。日本でも状況は似ているが、異なるところは、成人向けのギリシア神話の書籍であっても、なおさほどに重要でもない「変身」の物語や恋愛譚が多いということがある。

2009年02月22日

エリクサー

エリクサー(elixir、エリクシャー、エリクシール、エリクシア、イリクサ、エリクシル剤、エリキシル剤)とは、錬金術に於ける薬。飲めば不老不死となることができると伝えられる霊薬、万能薬。
キネテ 紅葉の旅 菊座おり しぼり キューシ チェリー シンボル オートキプ ニース オレン よぶすま ラン タイト フォール オムレツ フーガ グマー ディム ドナルドック かみす ラビ ふじ豆 エッグ エッジボール レプラ タロッ 全国通 タウン ガーネット スイッチ デニム マハラ ロール コロンブス タスク フェーン パツ バルカン スケッチ タロー プレッピ ロッタリ メッキ しとみや スイー ロード ハドロン ゆうじょ テーベ

ベネディクティン(Bénédictine)やシャルトリューズなどのリキュール銘柄では、特に薬効が強いものに「エリクサー」の名を冠して販売しており、これを指して呼称する場合もある。

アイザック・アシモフの『化学の歴史』(1967年 河出書房、"A Short History of Chemistry"1965年)第二章錬金術 アラビア人達によれば、語源は、乾いた粉と考えられていた事からギリシア語のxerion(乾いたの意)がアラビア語に翻訳され「al iksir」となった。H・J・シュテーリヒの『西洋科学史』によればイスラム錬金術の祖ジャビル・イブン・ハイヤン、ラテン名ジーベル(他にゲベル、ジャビル)が金属の四元素四性質(温・乾・湿・冷)を変性し、作り出した1性質のみの元素をal iksirとした。このal iksirを13世紀に翻訳した名がelixirであるとする。この他、ラテン語のエリ(神)クシール(杯)とする説も存在する。

錬金術の至高の創作物である賢者の石と同一、或いはそれを用いて作成される液体であると考えられている。服用することで如何なる病も治すことができる・永遠の命を得ることができる等、主に治療薬の一種として扱われており、この効果に則する確立された製造方法は今もって不明とされている。中世ドイツでは、パラケルススという医師が賢者の石(=エリクサー)を用いて医療活動を行っていたという伝説がある。彼は錬金術に於ける人工生命体であるホムンクルスを創造したとも伝えられる人物でもある。
一方、中国の道教において仙人になるための霊薬を作る術である「錬丹術」(煉丹術)が目指していた不老不死の薬『仙丹(せんたん)』も、これと同様のものである。

日本薬局方には「エリキシル剤」の定義があり、「通例、甘味及び芳香のあるエタノールを含む澄明な液状の内用剤である」としている。「製剤」の項目も参照。

また、ベネディクティンやシャルトリューズなどのリキュールに於いて「エリクサー」の名を冠するものが実在し、これらは酒として分類されるものである。ベネディクティンやシャルトリューズは創業当時から修道院内部でのみ製造されている薬草酒の銘柄として知られ、その製法や材料は門外不出となっている。味はカンパリやアブサンなど他の薬草酒に比べ、極めて苦味が強く、アルコール度数も強いのが特徴であるが、リキュール特有の甘味も備える。これについてはアンゴスチュラ・ビターズなどと同様に300?400ml程度の小ビンに詰められ、一般に市販もされている。

エリクサーは、その「不老不死」や「万能の霊薬」といった伝説から、特に中世ファンタジー風のコンピューターRPG等に於けるアイテムとしてもしばしば登場しており、ファイナルファンタジーシリーズやテイルズオブシリーズなどにエリクサー(或いはエリクシール)の名前の付いた魔法の薬が登場している。また、鋼の錬金術師、レミュオールの錬金術師といった錬金術を題材とした作品でも取り上げられている。これらフィクション作品で扱われるエリクサーの役割は、他の薬に対して高価または貴重、治癒効果や物語上の役割が大きい物とされる等、エリクサーの伝説になぞらえた形で扱われていることが多い。


2009年02月05日

アンディ・ボガード(Andy Bogard)

テリー・ボガードの弟。ジェフ・ボガードに養子として育てられ、二人とも捨て子。そのテリーには一度も勝てないでいるという設定。
ナビイサク シュレッ ながしの ステータス プロト イ短調 スプリ ジスト タープ ルテイン リストア スープ オプティ フェア マグナム プロトン メラノ プロローグ オール アップ ジボソン シュプ チャプチ レット サルコメア シアン ディア ピクチャ オムガイド インソ オーナ アマ ビルダー オペック バック らんこし ブエノス コッヘル フォー シルバー ビジホン たまごいろ パーマ ヒサカ ジャンル ハスキ アリスム 便利に生活 クロス バッファ

二人は兄弟(実際は義理の兄弟)であるが格闘スタイルは異なり、兄のテリーはマーシャルアーツ+喧嘩殺法なのに対して、弟のアンディは骨法を使う。これはテリーに体格で差をつけられている事が理由で別のスタイルを探した結果、日本の骨法にたどり着いたという。その骨法の師は、『餓狼伝説2』から登場したキャラクター・不知火舞の祖父・不知火半蔵であり、その縁で舞とは恋人同士という関係になった。彼女に執拗に結婚を迫られるが、アンディは「自分は未熟で修行中の身、結婚なんてまだ早い」と考えているため、未だに進展がなく、その求道的な考えが舞をヤキモキさせる一つの要因となっている。

一人称は基本的に「僕」だが、『餓狼伝説3』など一部の作品(一人称が定められる以前)では「私」または「俺」になっている。またテリーの事も「兄さん」、または「兄貴」と呼んでいる。

『餓狼伝説2』の時点で師・不知火半蔵が死去。その後は不知火流継承者として修行をしたのか、『餓狼伝説3』以降は忍者のようなスタイルになり、必殺技が不知火の焔を纏うようになった。

『餓狼伝説3』のエンディングではギース・ハワードと戦った際に無理をしたらしく、吐血している。

『ザ・キング・オブ・ファイターズ』シリーズでは『2002』まではすべて出場していたが、『2003』以降は出場していなかった。『2003』では弟子である北斗丸がおたふく風邪のため、『XI』では舞にバカンスに連れて行かれたため、『KOF MAXIMUM IMPACT 2』では一度も勝てていないテリーに対抗できるだけの実力をつける修行をするため、それぞれ不参加となっている(ただし、『KOF MAXIMUM IMPACT REGULATION´A`』の特設サイトに掲載されているサイドストーリーにおいて、テリーに「戦うのはそう遠い話じゃない」と発言しているため今後の『MI』シリーズに参戦する可能性はある)。『XII』で、6年ぶりに出場が決定。

『リアルバウト餓狼伝説スペシャル (以下RBS)』で隠しキャラクターとして登場したEXアンディ・ボガードは、他のEXキャラクターと違いアンディ本人ではないようで、アンディの影であると当人が語っている。また彼の弁によれば、「不知火流には光と影が常に存在する」という。

『KOF完全読本』にも収録された『美形会議』では、『餓狼伝説』の美形キャラとして登場。主にこの会議を仕切るリーダー的存在である。何かと血を吐く橘右京に対して、痛いところを突きまくる八神庵に右京への謝罪を強い口調で要求する。たまにロバート・ガルシアにもからかわれる。また上記の『餓狼3』エンディングに関連してか、彼も血を吐くことがあった。美形キャラの存在価値にこだわりすぎて、会議とは無関係な不規則発言を飛ばすことが多い。庵にそれを指摘されてからは若干低姿勢になり、さすがに反省している様子。

モデルはアンディ・ガルシア[1]。

技の解説
必殺技
斬影拳(ざんえいけん)
アンディの代名詞である、素早い突進からの肘打ち。『餓狼2』ではこの技でハメ技が可能だった。「残影拳」は誤植。
疾風裏拳、疾風横拳 (しっぷううらけん、しっぷうおうけん)
『餓狼伝説3』以降の「斬影拳」からの追撃技(技名がついたのは『RB餓狼』から)で、裏拳で相手をふっ飛ばす。「疾風横拳」は『KOF'99』以降での追撃技で、「疾風裏拳」とほぼ同様。
我弾幸(がだんこう)
『KOF'96』〜『'98』での「斬影拳」からの追撃技で、体当たりを決める。リーチが短いので空振る事がままあった。技名は漫画『覚悟のススメ』の劇中の用語「肉弾幸」が元ネタ。
飛翔拳(ひしょうけん)
掌から気弾を打ち出す飛び道具。『餓狼』シリーズでも『KOF』シリーズでも、見た目や性能の変化が激しい。初代『餓狼伝説』では幅が広いが、出が遅くて飛距離が短かった。しかし、以後の『餓狼』シリーズでは次第に隙が少なく幅が小さくなり、『2』からは飛距離が無制限になった。KOFでは『'96』から気を噴射する技に変更。また動作は『餓狼3』(KOFでは『'99』)から打ち出す手に反対側の手を添えなくなっている。
激・飛翔拳(げき -)
『RB餓狼』からの技で、「飛翔拳」のバリエーション。目の前に大きな気の塊を発生させる。『RBS』ではEXアンディが使用。
昇龍弾(しょうりゅうだん)
両手を広げて振り回しながら飛び上がる対空技。初代『餓狼伝説』の中間デモでは「空破弾」と表示されていた。
空破弾(くうはだん)
その場で前転してから、ドロップキックのように両足を揃えての飛び蹴り。北斗丸はこの技を受け継いでいる。初代『餓狼伝説』の中間デモでは「昇龍弾」と表示されていた。『餓狼伝説』でライデンに対して出すと間合によっては一撃でKOできる事があった。
幻影不知火(げんえいしらぬい)
『餓狼3』からの技。『餓狼』シリーズでは空中から別ラインに急降下して、着地して浴びせ蹴りで攻撃する。攻撃がヒットすると相手は別ラインに移動する(『RB2以外』)ので、更に追撃も可能。KOFでは別ラインがないのでそのまま急降下して、下の追加技に派生する。
幻影不知火・上顎 (- うわあぎと)
『'98』までは跳びつつ踵落とし(特殊技の「上顎」と同じ動作)、『'99』以降は振り下ろすように回し蹴りを繰り出す。中段攻撃。
幻影不知火・下顎 (- したあぎと)
『'98』まではしゃがんでの掌底、『'99』以降は足払いを繰り出す。
不知火蜘蛛絡み(しらぬいくもがらみ)
『餓狼3』からの技で、相手の背中におぶさり締め付ける投げ技。『餓狼3』では地上で入力し、『RB』以降は空中で入力する。『RBS』ではEXアンディが使用。『WA』では通常の背後投げ。
撃壁背水掌(げきへきはいすいしょう)
『KOF'95』からの技で、掌底のコンビネーションを繰り出す。『'95』では連続入力技だったが、『'96』以降は打撃投げに変更。
元ネタは漫画『北斗の拳』のジュウザの技で、最後の一撃がそっくりになっている。
闇 浴びせ蹴り(やみ あびせげり)
『RB餓狼』からの技で、炎を纏った脚を振り上げながら後転する。動作は特殊技の「浴びせ蹴り」のものを逆回しにした形になっている。『RBS』ではEXアンディが使用。
くない弾
『RB餓狼』でのダウン追撃技で、苦無をすぐ足元に投げる。『RBS』ではEXアンディが使用。
爆震(ばくしん)
『RBS』からの技。突進して相手に組み付き、掌底を打ち込む打撃技。『餓狼伝説 WILD AMBITION (以下WA)』では飛び込んでの移動投げになっている。『KOF'98 ULTIMATE MATCH』(以下『'98 UM』と表記)でも裏アンディが使用し、こちらも移動投げ。

EXアンディの技
斬影拳 穿(- うがち)
「斬影拳」を繰り出した後、影のような残像が追って突進する。追撃技は出せないが、残像がヒットすると相手はダウンする。
幻影不知火 飛影(げんえいしらぬい ひえい)
ダッシュからのみ出せる技。姿を消して背後に回り込み攻撃する。

超必殺技(潜在能力)
超裂破弾(ちょうれっぱだん)
炎(あるいはオーラ)を纏った「空破弾」の強化版。『餓狼』シリーズでは『RBS』まではタメコマンド(しかもレバー真下以外でのタメは受け付けない)だった。
斬影裂破(ざんえいれっぱ)
『RB餓狼』及び『RBS』での潜在能力。「斬影拳」から立て続けに「超裂破弾」を決める。
飛翔流星拳(ひしょうりゅうせいけん)
『'97』からの技。二連続の掌底から、両手を突き出し練った気を噴射する。
斬影流星拳(ざんえいりゅうせいけん)
『'99』からの技で、「斬影拳」で突進してから「飛翔流星拳」に移行する。
昇龍裂破弾(しょうりゅうれっぱだん)
『DOMINATED MIND』での隠し技(潜在能力)。「昇龍弾」で飛び上がった後、さらに空中で「超裂破弾」を決める。
男打弾(だんだだん)
『RB2』での潜在能力。ボディブローの連打から、最後に正拳突きを決める。技名はジョーが命名したという。ネタ元はおそらく段田男。
斬徹(ざんてつ)
『WA』でのオーバードライブパワー。その場での掌底で始動する乱舞技。
斬影至兜裂破弾(ざんえいしこうれっぱだん)
『2002』及び『NEOWAVE』のMAX2。オーラを纏った「斬影拳」で突進した後、追加入力で上昇のみの「超裂破弾(に見えるが実は頭から突っ込んでいる為に違う)」を出した後、頂点付近でそのまま降りてくる。

EXアンディの技
絶 裂破弾(ぜつ れっぱだん)
「超裂破弾」とほぼ同じ技。『KOF'98 UM』でも裏性能版で使用できる。
爆裂天翔拳(ばくれつてんしょうけん)
潜在能力。「斬影拳」からさらに「激・飛翔拳」を決める。

2009年01月21日

共和政イングランド

共和政宣言をもって成立した共和政イングランド(1649年-1653年)はさまざまな内部対立を抱えていたが、これを維持しえたのは、軍人として名望が高まりつつあったクロムウェルの軍功と、三十年戦争で諸外国が消耗していたからだった。共和政府はまた、財政立て直しのために王・国王派の領地を没収/売却したが事足りず、軍縮に手を付けざるを得なかった。これによって軍との対立を招き、護国卿政治にとって代わられることとなった。
共和政イングランドにおいては独立派がランプ議会を主導し、保守派(長老派)と革命の徹底を求める平等派の追い落としを始めた。追放された長老派はスコットランドにその活路を求め、オランダに亡命していたチャールズ2世を迎え入れた。平等派は徹底的な弾圧を加えられ、その勢力はなお健在ではあったが、組織化されることはなくなり、独立派の単独政権が確立された。アイルランドのカトリック同盟をすみやかに鎮圧し、チャールズ2世を擁するスコットランドとの間に1650年7月戦端を開いた。9月3日のダンバーの戦いでスコットランド軍は決定的敗北を喫し、さらにイングランドに潜入したチャールズ2世はちょうど1年後の1651年9月3日ウースターの戦いで完膚なきまでに叩きのめされた。一連の戦闘を指揮していたのはクロムウェルであり、この華々しい戦果に圧倒的な名声を得た。また共和政イングランドは、これらの勝利によっていちおうの安定を得た。

議会と軍の不和
反乱の鎮圧には膨大な戦費がかさんでおり、ひと段落したところで議会は財政立て直しのために軍の削減を主張した。さらに議会は航海条例を通過させ、オランダと険悪な関係になった。革命の担い手と自負していた軍は議会に対する態度を硬直させ、軍隊内では議会の解散をもとめる声が大きくなっていった。軍隊の立場を代弁・代表していたのはトマス・ハリソンであった。彼をはじめとする軍隊内の「第五王国派」は、神の王国の実現は近いとし、革命を導いたニューモデル軍こそその担い手であると主張していた。両者の対立を軟着陸させようと考えていたクロムウェルも、こうした軍隊内の過激化を抑えきれず、ついにハリソンと同調して議会の解散を強行し、「聖者議会」を成立させた。

聖者議会
「指名議会」「ベアホーンズ議会」「小議会」「いやしい身分の狂信者たちの集まり」などとよばれたこの議会は、ランプ議会にかわって1653年7月2日に開会した。この議会で中心的役割を果たしたのが急進派(第五王国派)ハリソンと穏健派ジョン・ランパードであり、クロムウェルは両派から英雄として担ぎ上げられていた。穏健派は議会の解散とクロムウェルの国王就任を目論み、その思惑通りに事態が進展した。こうして聖者議会は4ヶ月で自主解散した。クロムウェルはこの構想に同意したわけではなかった。しかし議会がなくなってしまった以上、政権を引き受けざるを得ず、King ではなく Lord Protector(護国卿)として渋々政権の座についた。

護国卿体制
1653年12月16日に成立し、元首である護国卿 (Lord Protector)、内閣にあたる国務会議、そして議会の三者均衡をめざしていた護国卿体制は、独裁制とは性格を異にしていた。護国卿の権力は「統治章典」によって制限され、立法権は州選出の議員によって運営される議会に留保された。しかしこの制度はすぐに破綻をきたし、反乱分子を抑えるために強権的にならざるを得なかった。

クロムウェルは独裁者たることを望んでおらず、合意による国政運営を目指していたといわれるが、国王派から平等派・第五王国派まで包含していたイングランド内にあって合意などもとより不可能な状況にあった。反革命勢力は議会に選出され、政府の支配の道具として使われた軍隊の削減を求めた。革命勢力たる軍と保守化する議会の間に「合意」を引き出せるはずもなく、クロムウェルはどちらにつくか逡巡したのち議会の解散(1655年1月22日)を選択せざるをえなかった。各地で平等派や国王派の反乱が相次いでおり、軍縮できる状況になかったためである。また、これら反乱分子を抑えるため、独裁的行政手段に訴えなければならなくなってきていた。

こうして解散された議会だったが、財政の逼迫はクロムウェルに変節をよぎなくさせた。「議会の同意なき課税は無効」という伝統がすでにイングランドに成立しており、これに基づいて議会を再召集する以外になかった。1656年9月17日に開かれた2度目の議会は、議員資格をめぐって混乱があったもののどうにか開かれた。議会は保守化の傾向を促進させようとし、クロムウェルに王の称号を贈り、上院の復活を求めるなどステュアート朝時代の政治体制に戻そうと腐心した。クロムウェルは王の称号以外の部分はおおむね受諾した(1657年5月25日)が、これが王政復古への道を決定づけたとも指摘されている。

王政復古
軍の弱体化を狙う政府内の動きに、第五王国派や平等派、そして兵士たちは反感を募らせていき、請願や抗議行動を活発化させていった。自らの支持基盤が軍であることを知っていたクロムウェルは、こうした動きにやむなく1658年2月4日議会を解散し、軍から忠誠をとりつけた。しかし議会を解散したことによって、いままでの反乱分子だけでなく独立派なども反対勢力にまわり、軍以外に支持基盤を見出せない状況に追い込まれていた。そんな中クロムウェルがインフルエンザにかかり、1658年の彼が名声を得た日と同じ9月3日世を去った。

あとを継いだリチャード・クロムウェルは無能ではなかったといわれるが、またも財政問題から議会を開かざるを得ない状況に追い込まれていた。また、オリヴァー・クロムウェルという核を失って、再度ひらかれた議会と軍の対立はもはや覆いがたくなった。選挙資格や選挙区の区割りを元に戻して行われた選挙から選ばれた議会には長老派と党派抗争をも復活させた。そしてクーデターによる議会の解散、ランプ議会の復活という変遷をへて、限界を悟ったリチャードは引退を決意した。オリヴァー・クロムウェルを失ったことは軍隊をも四分五裂させたが、そこにスコットランド軍の侵攻が重なった。

チャールズ2世はこの好機を逃さず、1660年4月4日ブレダ宣言註を発して復位を促した。混乱と内紛にうんざりしていた議員や国民の圧倒多数によってこれは支持され、5月7日、宣言を受諾する使節がオランダに向けて出航していった。

註「ブレダ宣言」は以下の4項目からなり、チャールズ2世の寛容さを印象づけた。(1)革命中の行動は、議会の指名したものを除き大赦を与える。(2)宗教上の意見の相違は、議会の定めにより寛容を認める。(3)軍隊の給与は、議会に決定に従ってすみやかに支払う。(4)革命中の土地所有権の移動は、議会によって処理する。
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スコットランド革命
1639年の盟約戦争・主教戦争から1651年のクロムウェルによる征圧までの内戦はスコットランド革命とよばれる。イングランドにおける急進勢力が独立派やバプテストであったのに対し、スコットランドでは長老派の中で強硬派(アーガイル侯・リーヴン伯)と穏健派(モントローズ侯など)に分かれ、強硬派は王に対する徹底抗戦とスコットランドの実効支配を目指した。いっぽう穏健派は、盟約の目的は長老制の確立のみであり、スコットランドは国王のもとに帰するべきと考えた。この違いが、内戦のみならず対イングランド外交にも影響し、強硬派の勝利・実権掌握がイングランドとの対立を招いた一因となった。これに続くクロムウェルの遠征によって、スコットランドは史上初めて直接支配を受けることになった。

国民盟約の成立
スコットランドは山岳地帯や大小の島々が多く、中央集権に向かない地域であった。地方ごとに有力貴族・氏族がそれぞれの領地をおさめ、王がそれを束ねる分権的な封建制にも似た国制をとっていた。そうした地方における宗教は、平信徒の代表である長老が合議によって教会自治を行う長老制が優勢となっていた。

1637年、チャールズ1世は国教会祈祷書(儀式などの手順を指定した書)を施行した。国教会は監督制すなわち国王を頂点とするヒエラルキー構造に基づく主教制的な要素が強いものであり、したがってスコットランドの激しい反発を招いた。スコットランドの有力貴族らは反乱を起こし、モントローズ侯らは1638年2月「国民盟約」を成立させて長老主義のもと団結した。

盟約派のねらいは、1603年の同君連合成立以来のスコットランド・イングランド両国のありかたを問い直すものであった。すなわち、イングランドに吸収合併されるスコットランド(ロンドン中心の物的同君連合)ではなく、対等な関係をめざしていた。しかし対等な関係はイングランド側からすれば分不相応な要求というべきものであった。人口比で5対1、経済力ではそれ以上の開きがある両国が対等などとは、とうてい応じられないものであった。